まったく客の来ない、住宅街の小さなサンドイッチ屋さんの思い出
この記事は、親サイトである「社会保険労務士その他登録のブログ」からの転載です。
(公開日:2017年7月9日)※掲載当初と結論が変わっています。
事業(「ごっこ」ですが)を始めた今
社労士として独立開業を夢見ている今
子どもの頃に見た光景を、ときどき思い出します。
それは昔々、もう40年以上前、地方都市の新興住宅地に住んでいたころの話です。
その新興住宅地に私の親が家を建てたのは、私が1歳の頃だと聞いています。
当時は、まだまだ空き地が目立っていたそうです。
それから次々と家が建てられ、私が小学生のころには空き地はほとんどなくなりました。
小学校への通学路の途中に、小さな庭のある二階建ての家がありました。
その家の2坪か3坪ほどの小さな庭に、突然赤い屋根にベージュの壁のプレハブっぽい建物が現れました。
プレハブの扉には、不思議なポスターが貼ってありました。
「手作りサンドイッチの店、オープンしました。」
世間知らずな小学生でも、このプレハブに貼られたポスターに不思議な違和感を覚えました。
こんなところにお店を出して、お客さんは来るのだろうか?
子供だった私の素直な感想でした。
透明ガラス張りの引き戸の扉から店内がよく見えました。
小さなガラスケースに、サンドイッチがいくつか並んでいたのをうっすらと覚えています。
店員さん(というか店長さん?)を見たことはありません。
お客さんも見たことがありません。
その店から1分も歩かない距離に大通りがあります。
そこには、スーパーマーケットも商店街もあります。
もちろんパン屋さんも何軒か・・・。
いまでこそ普通の住宅街にも、おしゃれなパン屋さんやケーキ屋さんがあったりします。
しかし40年前といえば、商店街やスーパーで買い物をするのが当たり前でした。
ましてや古い慣習の残る地方都市、
まるでタイムスリップしたかのように現れた、遠い世界のお店屋さんみたいです。
そんな得体の知れないサンドイッチ屋さんの扉を開く強者は、片田舎の地方都市では現れませんでした。
それから数か月。
ガラス張りの引き戸は、ベージュのカーテンで閉ざされてしまいました。
それから半年・・・
子ども心に、「商売って難しいな」なんて思っていたのかもしれません。
学校に行くとき帰るとき、カーテンで閉ざされた扉の前を通り続けました。
半年くらい経ったころでしょうか。
信じられない光景が目に飛び込んできました。
アイスクリームの店、始めました!
おいおい、奥様ターゲットがいきなり俺たち子ども狙いですか?
なんてことは、その頃は考えませんでしたが・・・。
なんとなく、悲しい気持ちになったような覚えがあります。
そのころの私は、普通の小学生、
貴重なお小遣いを、ここで使うほどチャレンジャーではありません。
私の友達もまわりの人たちも、不思議なほどこの店を話題にはしません。
語ってはいけない雰囲気でもあったのでしょうか。
再びガラス張りの引き戸がカーテンで閉ざされるまで、そんなに時間はかかりませんでした。
私は高校卒業までその街に住んでいましたが、二度とそのカーテンが開くことはありませんでした。
あの店は、いったい何だったんだろう
あの家の奥様の夢だったのでしょうか。
店を出せて、満足だったのでしょうか。
マーケティング・リサーチがどうのこうのとか、
出店計画がどうだったとか、
今さら考察する気など、さらさらありません。
サンドイッチ屋(アイスクリーム屋)のオーナーさんと思われる、その「元」庭のあった家の表札が変わることはありませんでした。
店を始める前も、閉めた後も、ず~っとです。
ということは、生活のために出店したわけではなさそうです。
きっとあの家の奥様が、小さいころからの夢をかなえたんでしょう。
「ちいさな自分のお店」を持ちたかったのでしょう。
・・・と、勝手に思っています。
店はうまくいきませんでしたが、奥様はどう思ったのでしょうか。
夢をかなえられたことに満足していることを願っています。
「やっぱり商売って難しいよね」って笑い話にしてくれていればいいな、と思っています。
夢がかなって満足? そんなはずないじゃないですか~!
年金があるから「儲からなくていい」と考えている、私の未来の社労士事務所。
本当に儲からなくて、事務所を閉める日を迎えたとき、私は笑えるでしょうか。
笑えるわけないじゃないですか!
「やっぱり事業は甘くはないな」って笑い話にできるかって?
できるわけないでしょう!
上の結論、
「満足していることを願ってます」とか、
「笑い話にしてくれていればいいな」なんて書いていたのは1年前です。
まだ「ごっこ」とはいえ、事業を始めて早1年。
やっぱり成功を収めて笑いたいんです。
がんばらなきゃ、ですね!
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